20013.4.15.吉本耕二さんの命日です      music 耕二くんが大好きだった 歌 坂本冬美さんの「また君に恋してる」



  世界でたった一つの花 ・ 吉本耕二くん友情感謝するハート

世界でたった一つの花


      海洋磯釣倶楽部副会長 吉本耕二さん

スカイブルーが似合う 耕二くんの 花
吉本耕二くん友情感謝するハート














































     この稿は「機関誌 海洋だより」からコピーしました。



  吉本耕二くん友情感謝するハート



吉本耕二くんの 友情に感謝するハート   はじめに

平成5年から始めた海洋磯釣倶楽部 主催の「関門投釣りイシモチ選手権」
当時は、北九州市門司区新太刀浦岸壁で第1回、第2回と開催し、第4回ごろから釣り仲間の連帯とか、新聞、雑誌のPRから100名ほど参加する「ビックな夜釣り懇親釣り大会」となりました。

夜釣りを専門にし、早朝の検寸タイムでしたから、土、日に勤務する方も参加でき、賑やかしいバーベキュー、焼き肉懇親会を良くしていました。

そのときから吉本耕二さんが一般参加するようになり、西川賢治さんや田中漫坊くんと同じ職場の小山奈美ちゃんの紹介を経て、ゆかいな釣り仲間が、又一人、海洋磯釣倶楽部に加わったのです。

彼は八幡西区の黒崎銀天街のレディース&ブティックに勤める野球青年でもあったのですが、前々から興味のあった投げ釣りを、月刊 釣ファンの私の稿を読み、又、ファミリーフィッシングをする私達の釣りスタイルに、すごーく興味を持ち、8年後に正式にクラブに入会できたのでした。

この間、色々なエピソードがたくさんあったのですが、純粋に釣りを楽しむハートが、耕二君の、お母さんにもハイタッチされて、より親交感が深まったようです。

釣行する耽美に、元気の良いお電話をしてくれる吉本耕二くんの性格は明るく、釣りクラブの皆を元気づけてくれます。

ただ、「投げ釣りスタイル」だけを、こだわっていたので、私のように、ウキふかせ釣り、磯釣りスタイルには入れなかったのが、ちょっと残念でした。


お魚釣りで遊べる私達は「すごーく面白い釣りをして」「ゆかいな釣りを楽しんで」「明日への活力をパワーアップ」させます。
そんな面白い釣りクラブに耕二くんみたいな釣り仲間がたくさん居て、もっと、もっと、楽しんでほしい。

その為のお世話係を夫婦で一生懸命務めながら幸福に感じていたのです。
その事を一番に感じてくれるのが耕二くんみたいな釣り人であったり、たくさんの協力、仲間のサポートを頂いて再びガンバレるのが私でした。

人と人との絆、つながりは、こんなところから生まれてきて「人が優しくなれたり」「美しくなれたり」すると想うのです。

耕二くんとのお付き合いは、始めて紹介を受けてから17年になります。
最初は、お手紙とか電話の交流は、今までの会員さんの中で一番多かったと私は想います。その上、お母様からのお手紙は、20封はあると思います。

全部私は大切に保存しています。もっとも海洋磯釣倶楽部の会員さんから頂いた貴重な手書きのお手紙は30数年分、ファイルに保存しています。


彼の闘病生活が始まった平成24年6月からのお手紙は、お母さんと含めて8通あります。これは私達夫婦の宝物。それ以前の楽しいお手紙を一部紹介しながら、耕二くんのアルバムを制作しました。

吉本耕二くんを知るみなさん、彼は貴方のハートの中で生きています。応援して下さい、お魚釣りを。

2013.6.

                  海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲


PS この稿は、私が配信するホームページ「世界でたった一つの花」の中で、同文が入り、耕二くんの懐かしいアルバムが入っています。ぜひご覧下さい。


  吉本耕二くん友情感謝するハート



世界たった一つそのお花畑私達


楽しい、おもしろい、お魚さん釣り紀行は、私達釣り仲間の遊びの時間ですが、生活の中で遊びを加えることで、お仕事にも励みができるし、一生懸命会社の為、社会の為に、奉仕出来る事が、私たち釣りクラブのライフスタイルだと想います。

その釣りに夢中になれるのは、競いあえる釣り仲間が居たり、釣りクラブとか、釣り人組織のゲーム感覚が、よりお魚釣り趣向に心を踊らされていると私は想うのです。

私は妻と二人で楽しいライフスタイルを、お魚釣りで築いています。その中でちょっとだけお魚さん釣り仲間を励ましながら、みんなで楽しい想い出作りを演出しています。

ささやかな想い出作りも、釣り人個人から、家族に繋がる事も、出来るところでお付き合いしています。

趣味のお魚釣りも、たくさんの人々が加わってこそ、私が、仲間達が、それぞれに楽しめる分けで、多くの人々が、ちょっとだけ関心を持ってもらい、少しだけお付き合いしてもらいながら、より大きな果実ができるのも、大好きな、楽しい趣味のお魚釣りだと、私は想うのです。


その事を同じように想い、一緒に遊べる釣り仲間であれば、だれでも同等にお付き合いしたい。会社の、社会の、上下関係など全くない、趣味の世界だからこそ、それができると私は想うのです。

ですから、親しい釣り仲間は、より想いを深めてしまうことが現実にありますから、様々なところで悲しみを、より深めてしまうことが、私の場合多大あります。


お魚さん釣り仲間は多岐にわたりますが、私の若い頃は、師匠とか先輩達の不幸事によく遭遇しました。
その家族とか兄弟まで、なにがしの交遊があるものですから、随分と悲しい想いをしました。
それでも、このお魚釣りだけは、私のアットホームみたいなものですから、絶対にやめられなくて、今に続いています。


若い会員さんとか、親しくしているご家族皆さまには、特別な想いがあります。ただ、趣味の魚釣りだけでは納められない、想いがたくさん私のハートの中に詰まっていますから、もしそれが消えてしまうことになれば大変なんです。


このお手紙は海洋の会員さんだけに送ります。
わずかばかりの会員さんですが、仲良しのお付き合いは、まだまだ十分に続いております。

その仲良しの吉本耕二さんが亡くなったことを、再度お知らせしています。
これまでの、彼の経緯を簡単に紹介し、もう一度、彼のハートを想っていただけたら凄く嬉しく想います。



@一昨年の4月、関門海峡一帯の釣り月例会で、彼が門司西海岸でチヌを釣りました。
このときお母さんもご一緒で、まさか夜釣りまでされているとは思いもしませんでした。
ちょっと元気なさそうな吉本耕二さんでしたが、それでも、いつものスマイルで「ハイ、チーズ」の写真が海洋磯釣倶楽部として最後の月例会となりました。

5月に入り、平山さんから驚くようなお話しを皆で聞きました。
そして彼の闘病生活がここから始まったと想います。


Aこの間、彼とのコミュニケーションは、電話とか、お手紙、そしてお母さんとの経過報告。
退屈な病院生活もありそうですから、本を贈ったこともあります。


お魚さんがたくさん釣れたので、お見舞いがてらにお魚さんを持って行ったことも。
もちろん、星野さんや熊野さん、平山さんのコミュニティーがあって、お魚釣りをしたことを聞いて
「ホゥー、彼、元気になってイルやんケ!!」 と、想ったものです。


Bそして今年3月、危機が迫っている事をお母さんから聞いて
、八幡厚生年金病院に再度お見舞い、わずかばかりの時間の中で、ちょっとだけ手を握って「ガンバレ、ガンバレ」。

洋子ちゃんと代わって、すごく彼の想いを感じ、平山さん、熊野さんが笑顔を交わしました。
ほんの僅かばかりのコミュニケーションも、涙にくれたお母さんとのお話しがたくさんあり、お母さんが希望した彼の写真を20数枚、CDに入れて贈りました。
それから数日、顔は優しい笑顔で息を引き取ったことを聞きます。


C4月15日の夕方、哲ちゃんが佐伯大入島釣行から帰り、私家へ寄って釣好自慢。
そして三人で夕食会をしていたときでした。
電話が鳴ります。
洋子ちゃんが電話をとりますと、吉本耕二くんのお母さんからで 「亡くなりました」。

色々なお話しはあったようですが、丁重にお悔やみ申し上げました。
その後、三人で協議。
16日、通夜。17日、葬儀の件で、ある程度のシナリオを作り、平山さん、熊野さんなど、皆と相談して、海洋磯釣倶楽部一同として生花と、ささやかな香典を供えることになりました。


D16日、火曜日、哲ちゃんの車で私と釣りのファン子ちゃんが会場の北九州紫雲閣に5時前に着き、私が慌てて書いた「詩」を250部ほどフロントにお願いしてコピーして頂きます。

持参した紙だったので、快く対応してくれた事務の方。
それを持って、受付で皆さんへ、配布お願いしました。


耕二くんのお母さん、お姉さんが出迎えてくれて、涙が溢れてきます。
そして耕二くんの棺の前であふれるお話し色々。


E耕二くんの寝姿は、やっぱり「イイ男」、いつものような顔立ちで、がまかつのインター帽子、すごく感動したのが、海洋磯釣倶楽部のユニフォームを着ている事でした。

お母さんが「耕二が、すごーく大切にしていたお魚釣りユニフォームで逝きたい!!」その遺言でした。
波を形どったお花で、すごく豪華な祭壇には、耕二くんが、あの海洋磯釣倶楽部のユニフォームを着て、すごく楽しい笑顔で写っているのです。
その写真は、釣りのファン子ちゃんが写した写真ですから、よけいに嬉しかったのでしょうか。


Fそして午後6時より通夜が始まります

浄土真宗本願寺派のご院家さんが、お経を唱えながら入場してきました。
すごーく驚いたのですが、ご院家さんの心のこもった仏説阿弥陀経、そしてお説経、ご浄土がありました。耕二くんが大切にされている、お寺さんとの絆が凄く分かる想いの、通夜がありました。


次々と来てくれる耕二くんのお友達、親戚の方々。耕二くんを囲んで、お魚釣りとか、トマト畑のお話し、野球少年のこと、色々。
私が知っている限りのお話しをしながら、釣り仲間の都留さんや大道さん。
午後9時前、やっとご親戚の控室に安置され、ここでひとまずお別れをしました。


Gその後、熊野照輝さんが
仕事先から駆けつけて対面されたことを、その日聞いて、ちょうど私達と行き違いになって、すみませんでした。
でも耕二くんの寝顔を見て、すごく感激したそうです。
熊野さんと耕二くんは、九州磯釣連盟のサーフの大物釣り趣向で競いあった仲ですから、すごーく気心が知れている仲良しなんですね。


H4月17日、水曜日、朝は大雨でしたが、哲ちゃんが迎えに来てくれた午前10時には青空がありました。
行きの途中、明屋書店で「耕二くんに贈る詩、世界でたった一つの花」を150部ほど両面コピーして、午後0時に北九州紫雲閣へ着きました。
早速、彼と対面していたら、又々涙がこみ上げてきます。
お姉さんと、彼のお話しを聞いていると時間がいくらあってもたりないのですね。


I会場には耕二くんの大好きな写真パネルが数枚あって、みんな釣果自慢の写真です。
それに、お母さんに差し上げたCD写真が、想い出のアルバムとして、大きなテレビ画面で見られるのです。色々な状況があったようですが、後で釣りのファン子ちゃんが、たくさん教えてくれました。


J昼の1時より葬儀が始まります
会場のナレーションが凄く優しくて、お母さんの栞が拝読されて、お念仏が始まります。
心地良い、安らぎのお経を聞きながら、こみ上げてくる彼の想いは、なんなのでしょうかね。

祭壇で香を捧げ、つい、お母さんの、お姉さんの手を握ってしまう自分がアホらしくなるのです。

ご院家さんが退場されて、私達と耕二くんのナレーションがあります。
その中で、私が書いた「世界でたった一つの花、詩」を読んで頂きました。


もうこれで耕二くんとはお別れ。
ご親戚の皆様から送られている光景を眺めながら、私も泣けてくるのですね。
今、この稿を書いているときでも涙している私に、洋子ちゃんが言います「年をとったよね」


Kたった3日間で、私と釣り仲間と
、そして耕二くんとのお別れを書きました。
色々な想いは、お付き合いのあったお友達、それぞれにありますが、彼ほど純粋にお魚釣りを楽しんだ方、他にありません。
又、海洋磯釣倶楽部を大切に想ってくれ、私達を最後まで勇気づけ、励ましてくれた方ですから、彼の想いを大切にしないといけない、そう想います。


今、私達の身の周りには、たくさんの不幸事を背負った釣り仲間がいらっしゃいます
又、元気者の若人であっても、いつ、なんどき、何があるか分からないのも、現実にあります。

私達はみんな凡人であって、小さな命を削ぎあって生きています。
ですから、友情とか、交遊は、出来る限りやりたいものです。
その上で皆さん、お魚釣りしましょう。なにかありましたらメッセージを下さい。


2013.5.


                        海洋磯釣倶楽部 会長  上瀧勇哲


PS

IT.ホームページの中で「海洋磯釣倶楽部のページ」は2013年1月より、ほとんど更新はありません。
その代り「サーフメイズ JAPAN 2013版」を、私の親戚、お付き合いのある友人と全国組織で発信させました。
今からのページですが、積み重ねてまいります。
又、「機関誌 サーフメイズ JAPAN」も2ヶ月に一度製作してポイント苅田店など10店舗と釣り具メーカーさんなどに300部配布しています。
新聞作りについては「機関誌 海洋だより」に引き続いて発行しています。
いつまで続くか分かりませんが、年金生活に入ったら新聞発行はやめるかも。
その分、ホームページを充実させたいと思っています。


  吉本耕二くん友情感謝するハート
                                        

     

                                                                              

           
この稿は「機関誌 海洋だより」からコピーしました。



 梅雨に似合う花 紫陽花

最近のあじさいも変わりました。
 色相、大きさ、花弁とさまざまに楽しませてくれます。

花言葉 ※ 辛抱強い愛情
    ※ 元気な女性 とか……

久し振りにおたよりします。
先日、夜釣り大会でお会い出来なく残念でした。

私はその日、イシモチ 40p? 程の一匹だけでしたが、師匠は変わらず上手。4位に入賞でしたネ。さすがにベテランサファー!!

今年で2年目、行ける回数は少ないけど “いい師匠” に付いているのだからと…… 程良い指導を受け楽しんでいます。

昨年11月佐賀呼子に“カワハギ” 釣りに行った時、心ウキウキ投げ入れ、最初は数匹上げてまして、しばらく中々餌付いてくれません。

少し場所を移動して、外燈の近くに(今度は釣れますように !! )と思い切りキャスティング 〜 「ガ〜ン」 

何 !! 何が起きたの? 
オモリが外燈ガラスに的中 !! 外燈のガラスが割れた事は申し訳ない気持ちでしたが、サオが折れなく良かった〜で反省しました。

その時々でハプニング有りですが、職場を離れ、風景も変わり、時には鳥の声、朝陽、夕ぐれ、夜空と釣り場のドラマです。

初心者なりのサオ先の当りがある時、リールを巻く喜びワクワク感は釣り人でないと分からないでしょう。

今夜も関門へ行く予定で、真穴子72p、真ダイ40pと20p、イシモチ数匹 〜いずれも師匠ですが、私は穴子数匹です。多分、技術の差でしょう。
今夜は私のサオに、お魚さん餌付いて下さいネ。

話題は変わって、

上瀧さんご夫婦のホームページ観させて頂いています。
何と仲の良いご趣味で素晴らしいですョ。ほのぼのとした内容や観音像の不思議な出来事。題材が盛り沢山で楽しみながら読みました。

ブログ風だったら返信出来るのに〜 と思いました。
ファン子さんと同じ年代なので、追々身近に生き方の素晴らしさに感動しましたし、私も参考にさせて頂きたいと思います。
これからも海洋クラブ益々発展されますように !!


平成19年6月1日

             内藤竹子


師匠は耕二さんです。

        
この稿は「機関誌 海洋だより」からコピーしました。




ゆかいな釣り仲間たち シリーズ                              2

私の釣り 日記  パート1                             吉本耕二

平成8年7月始め、梅雨の合間の晴れの日に、皿倉山に登るケーブルカー駐車場近くにコイの釣り堀がありました。たしか1時間200円か300円で遊べ、そこそこ釣れ、楽しい時間を過ごした事を、会社の上司に話したところ
「せっかくやったら、美味しく食べれる魚を釣りに行こう!! 」と誘われ、平成8年7月中ごろ、福津市勝浦浜へキス釣りに連れて行ってもらった。

朝5時に到着。もちろん、竿、リールも借物で、市販の仕掛けに砂ゴカイを付けて投げる。「剣道の面を打つ感じで」のアドバイスが良かったのか、いい感じで遠くに飛んで行く。3本針なので、ピンギスが3匹ずつ釣れる。無我夢中で投げ、初めてのキス釣りで100匹以上の釣果だった。

我が家の両親共に、島根県浜田市の小さな漁港出身の為、魚の新鮮さが分かり、大きいのは天ぷら、小さいのは頭ごとカラ揚げで美味しく頂きました。

次の週は一人で行って、やっぱりまた同じように100匹近く釣れた。休日に雨が降らなければ毎週行った。9月になったら、今まで釣れたキスがぜんぜん釣れなくなった。いくら遠投しても釣れない。会社で上司に話すと、時期があるということで、今度は夜釣りに誘われた。

平成8年9月末、「関門でコイチ、チヌを狙おう」と休日前夜、今は禁止区の新浜12号に行った。その日は、アナゴしか釣れなかったが、もちろんお持ち帰りで、白焼きで美味しく頂いた。
次の週の休日前夜、また同じ新浜12号に行った。40p前後のコイチ3匹の釣果。早くチヌが釣りたい。チヌが釣れたのは、平成9年3月末、40p。

平成8年10月、今までの話を大阪の旧友に話すと、彼も投げ釣りにハマッていて、南紀(和歌山)などに行って、マダイ、コロダイなど大物を釣っている事を聞かされる。
道具もシマノのエアロキャスト405-CX、パワーエアロを勧めてくれて、2セット購入する。手入れをしているので、今でも現役です。

平成8年11月〜平成9年3月まで、田野浦バナナセンター前でカレイ釣りにハマり、25p〜30p、悪くて7〜8匹。いい時は15匹くらいお持ち帰りで、刺身に、煮付けに、食卓を賑わしてくれた。
魚釣りを始めて毎月「月刊 釣ファン」、毎週「週刊 つりニュース」を購読して、色々情報を仕入れていたので、上瀧会長や釣りのファン子ちゃんの事は憧れでした。

平成9年、春に当時働いていたレディス・ブティックのお客様で、小山奈美さんに関門イシモチ釣り大会に誘われる。小山奈美さんの友人、西川賢治さんも海洋磯釣倶楽部のOBで、カレイのギネスの事も聞きました。

平成9年5月、仕事が終わって夜22:00ごろ西海岸4号で、受付け時に、憧れの上瀧会長、釣りのファン子ちゃんにお会いできて感動でした。
仕事の関係で、休日が平日だった為、海洋磯釣倶楽部の皆さんと活動できない事が、とても残念でした。それでも「海洋だより」を楽しみに、皆様の活躍は、いつも気になっていました。年に一、二度は、

上瀧会長宅へ遊びに行き、お付き合いを続けさせて頂きました。

平成13年? 15年?、九州磯釣連盟に誘われ入会させて頂き、平成20年、転職を機にクラブの皆さんと一緒に、例会に参加させて頂き、21年度より海洋磯釣倶楽部 正会員となりました。どうぞよろしくお願いします。  つづく。


2011.4.18.                      機関誌 「海洋だより」.267号で紹介



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長崎県大村市長崎空港道り

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耕二くんが好きだった我が家のガーデニング

毎年出来るイチゴ

こんな具合で作っています





玄関前のバラ





噴水に植えたパンジーは洋子ちゃん手ずくり

散歩する方が奇麗と





皆が見てくれる舗道に