海洋磯釣倶楽部 仲間達 世界たった一つの花 2017.10 更新

彼の命日 2013.6.23   music 映画音楽 クラシック・クラリネット協奏曲


1986.11.大分県蒲江深島のツバクロ瀬、菊地正文さんと石鯛釣り。九州磯釣連盟 若松地区 懇親磯釣り大会にて



大分県蒲江深島の磯、そして宗像沖之島の磯は、みんな石鯛釣りだった










彼が良く遊びに来てくれた我が家の庭に咲くバラ、優しい花のような人だった






   海のように豊かなハートをもつ花  親友 菊地正文さん
海のように豊かなハートをもつ花



大分県坂ノ市釣り大会



佐賀県肥前町、鷹島磯釣り大会







大分県鶴見磯釣り大会




海洋磯釣倶楽部新年会、総会、



大分県米水津、磯釣り大会




大分県蒲江深島磯釣り大会




海洋磯釣倶楽部の家族慰安会




築上町椎田







海洋磯釣倶楽部の新年会、総会は
上瀧勇哲家で



この家で3回目の総会。




九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部

菊地さんと沖ノ島へ


宗像沖ノ島の御門にて菊地正文さん





海のように豊かなハートをもつ花
   海のように豊かなハートをもつ花  親友 菊地正文さん

 2013.8.1.  機関誌サーフメイズ JAPAN 8月号 288に記載した稿です



海洋磯釣倶楽部 会員、OB会員 皆様へ

拝啓 梅雨からやがて夏日を迎える季節となりましたこの頃ですが、如何お過ごしでしょうか、お伺い申し上げます。

さて、大変
ご無沙汰をしておりますOB会員の皆様、又、年に数度ご一緒できる方、あるいは、年賀状ごろのお付き合いのある方、様々な形で私とご縁を持ち、元 海洋磯釣倶楽部 会員として親しめている方にお手紙を差し上げています。

皆様には海洋磯釣倶楽部 会員として活躍された、在りし日の懐かしい想い出の数々がたくさんあることと思います。
その中で「機関誌 海洋だより」から「サーフメイズ JAPAN」と受け継がれている新聞のコミュニティーでお付き合いを頂いていますが、昭和51年3月に北九州市若松区で海洋磯釣倶楽部として発会して、もう38年になりました。
その間、このクラブに登録された方は140名を越えました。
その方々の多くは、お魚釣りを想い出として、現在は釣りはされておりません。又、亡くなった方は、私が知る限りでは30数名ごろになりました。




海洋磯釣倶楽部からつながる、たくさんの釣り仲間の交遊は、友は友を呼び、その友から、さらに友が増えてきます。
海洋磯釣倶楽部 会員から紡がる親しいお付き合いが出来ている方が、その数百倍居て、海洋磯釣倶楽部の名前を覚えてくれる釣り人が数万、数十万から、もっといるかも知れません。
そのぐらい私達が活動した海洋磯釣倶楽部は、たくさんの人々から今だ温かく親しまれています。
それも、これも、みんな、海洋磯釣倶楽部 会員皆さんの伝統という絆から存在するもので、アクションプログラムから生まれたものです。


今度のお手紙は、色々な想いと、様々な感動から成り立つ、私の使命としてお知らせしたいことを紹介しています。


      海のように豊かなハートをもつ花


「海のように豊かなハートをもつ花」
 去 菊地正文さん



菊地正文さんが本年6月23日、亡くなられました、ことを報告いたします。


私と菊地正文さんは同じ年です。
彼は10月生まれ、私は2月生まれで、学年は1つ私が上になります。
その彼と、始めて知り合ったのが、関門海峡、北九州市門司、笠石(太刀浦)岸壁でした。

彼はサーフの夜釣りでイシモチ(コイチ)45pを数匹釣ったとき、たまたま出くわしたのです。
その菊地さんは、私の弟、上瀧周作が勤めるTOTO機器(くさみ工場)の上司であることなどで紹介を受けましたので、私が無理やり海洋磯釣倶楽部 会員になってもらうよう、お願いしてから、菊地さんが入会しました。


その当時の彼は、トヨタGTフェアレディというスーパーカーを乗りまくっている若者で、ちょっと私達と次元が違う人でもありましたが、海洋磯釣倶楽部の月例会には、投げ釣りの大物趣向から入って来ました。

その彼がいつの間にか、磯のウキふかせ釣りをTOTO会社の釣り仲間から教えられ、磯釣りに熱を上げるようになりました。さらに荒磯の王者、イシダイ釣りにハマリ込んで、もう手が付けられないぐらい磯釣りに夢中になったのです。


ファミリーフィッシングを主体にしている海洋磯釣倶楽部には、ちょっと場違いのような存在でしたが、彼は海洋磯釣倶楽部の会員として、九州磯釣連盟の荒磯釣り仲間、大分県の東芝石鯛とか、TOTO磯研、〇〇潮会など、久留米の今里 準さんのお店に頻繁に出入りするほどの、底物釣り師として大活躍しました。

特に九州磯釣連盟 ビック釣り大会、五島大会にはイシダイ56pを釣って準優勝したときの笑顔は忘れられません。その大会に私はシロキス部門でチャレンジしたのですが、毎年の、この大会にかける彼の意気込みは計り知れないものがありました。


そのような彼と九州磯釣連盟、大物釣り趣向の釣り仲間との交流は色々あったのですが、彼のバイタリティな活動は、私達、海洋磯釣倶楽部の中には存在していません。
ただし上瀧三兄弟との絆は、TOTO機器という会社から紡がる交流が多く、菊地さんを師匠として慕う若者が一度に10数名、海洋磯釣倶楽部に入会したときは、さすがに驚きました。


そのぐらい彼の海洋磯釣倶楽部への思い入れと、アピール度、さらに九州磯釣連盟の底物釣り師としての交流は、サーフを主体とする海洋磯釣倶楽部の存在を更にレベルアップするものでした。
その事により、私は随分と菊地さんの影響を受けました。


九州磯釣連盟 北九州支部の「北九州支部だより」発行を始めて手がけ、6年間務めました。
その引継ぎを副部長の菊地正文さんがすることになり、随分、彼に迷惑をかけました。
又、(公益財団法人)日本釣振興会などのイベント行事、少年少女釣り指導員など、彼のおかげで随分と責任を果たすことが出来ました。

色々な彼とのお付き合い、又、奥様や師匠と仰ぐ若者との深い交流など、海洋磯釣倶楽部を越えたエピソードが、あまりにも多大あります。

その彼は一流とか、A級にこだわる、アクションがあります。プライドが強く、自己が出来る最高のものを、いつも求めていました。しかしながら他人については目線が低く、同等の付き合いを、ごく普通にしますから、彼の人望はより厚く、たくさんの人々から好かれた方です。
そんな彼が大好きで、私は、親友以上のお付き合いをさせてもらいました。


病気で海洋磯釣倶楽部との釣行ができなくなった7年間、「機関誌 海洋だより」は出来るだけ彼に直接届けるようになります。
その中で、なんとか病気と闘いながら奥様と釣り旅行をしていることを知ります。


近場釣りのアジ釣りや、投げキス釣り、色々なコミュニケーションは、奥様からも聞けました。
夫婦で仲良く、ささやかな釣りができ、なんとか病気と闘っている彼に、出来るだけサポートしたい。しかしそれが出来ない。ただ、こうしてお手紙と新聞を届け、哲ちゃんや釣り仲間に声をかけて、「たまには菊地さんの家に行ってよ!!」のことを、言うぐらいしかできないでいました。


ある日彼が、どうしてもということで、夫婦で応接間に通されて、たくさんの昔話し。
そして最近の近況は、みんな釣りの話し。
奥さまが竿を持って、投げて、私(正文さん)がエサを付けて、魚を取って、再び奥様が竿を振って遊ぶ釣りを、楽しそうに、嬉しそうに話す彼の笑顔は今でも忘れられません。ただ、この文章の中に、彼の特別の行動は入っていません。


病気からガンバル、彼のエピソードは限りなくあるのですが、いつも奥様が付きっきりで、優しい笑顔を、愛情を、捧げているところに夫婦愛をすごく感じ、ときどきは涙している私に気付くことがあります。

平成24年春、菊地さんから呼ばれ、哲ちゃんと伊藤くん、私、釣りのファン子ちゃんで訪問します。彼から手渡されたのはピカピカに手入れされた「がま磯ロッド」に、「ダイワ投げロッド」それにスピニングリールや仕掛け、オモリもたくさんありました。
「これをみんなで使ってくれたら嬉しいのですが」と言うことで、形見として頂きました。

石鯛のオモリ、仕掛けなどは伊藤さんが頂きましたが、その形見分けを海洋磯釣倶楽部の会員皆さんにも分配しましたが、奥様と彼が愛用した、投げロッド一式と、がま磯ロッドは、私達夫婦が利用させて頂いています。

その竿でキスやクロを大漁させたことを、彼に報告して大変喜んでくれました。

海洋磯釣倶楽部、会員一同としてお見舞いを贈ったこともありましたが、彼は渋々頂いてもらいました。その上で彼から「皆さんにご迷惑をかけてしまいました、ありがとうございました」の御礼を頂いています。そして1年が過ぎました。

今年春ごろからずーっと入院していますので、奥様に「サーフメイズ JAPAN」の新聞を届け、近況を聞きながら病気と闘っていることをうすうす感じながら、私達夫婦はなにもできませんでした。
そして今度の訃報を奥様よりいただきました。
「主人が、上瀧さんだけには知らせるようにと、くれぐれも言われたので」ということでした。


電話の向こうで涙している奥さまに、なにも話すことはできませんでした。
その日、62才の人生を一生懸命生きた親友、菊地正文さんの想いを綴った詩を、すぐに書きました。
その詩を持って6月24日、通夜。25日、葬儀でした。

師匠として親しんだ釣り仲間がたくさん来て、再会することになり、なぜかしら楽しい笑顔が有りました。そして、彼と親しんだ想い出「海のように豊かなハートをもった 花」詩を、両日ともナレーションで入れてもらい、会場からすすり泣いてくれる温かい人々と、共に涙していました。


上瀧三兄弟と親密に関わってくれた菊地正文さん、そして奥様。
「ほんとうにありがとうございました」と、菊地正文さんのお兄さんと何度も握手を交わしました。このご縁を感謝して、これからも、彼のハートを私達の胸に入れて、楽しい魚釣りをいたします。


尚、菊地正文さんを存じあげている方、ぜひお電話、お手紙などを差し上げて下さい。私を利用したコミュニケーションもできます。よろしくお願いします。

2013.8.1.   上瀧勇哲



 海のように豊かなハートをもつ花  親友 菊地正文さん


この稿は「機関誌 海洋だより」からコピーしました。



     
主人の釣り


海洋磯釣倶楽部副会長夫人 菊地妙子さま



海洋磯釣倶楽部の創立20周年を心からお慶び申し上げます。

昨年のクラブ家族慰安会、椎田浜宮海岸の貝堀と焼肉パーティで、主人ともども、楽しい思い出をかいま見ることができました。
ありがとうございました。

このような楽しい企画、家族で遊べるお魚釣りクラブに入会している主人について少々稿を書いてみました。

主人は色々と趣味が多いのですが、その中でも釣りに関しては釣りキチと言っていいほどです。

私も釣りを始めた頃は、波止からの釣りで、キスやクロダイを釣った時は凄く嬉しかった事を覚えています。

それからの私は、主人について国東半島のカレイ釣りや平戸島のキス釣りに良く通いました。
しかし次第に主人は磯釣りに行くようになり、私と一緒に行くことが少なくなりました。

イシダイ釣りを始めた頃はボウズが多く、費用がかかった上に、お魚がほとんどありませんから、よく文句を言っていました。
でもイシダイを始めて釣って帰った主人の嬉しそうな顔を見たときは、私まで素直に喜んでいました。

主人のお陰でいつも新鮮なお魚が食べられ、今はとっても幸せです。

不満があると言えば、休みの日は、ほとんど家に居ることがなく、部屋の中は釣り道具で一杯で、暇な時はいつも仕掛けを作っている事です。

これからも釣りは続くと思いますが、健康で安全な釣りをお願いします。

海洋磯釣倶楽部の皆様や、主人とお付合いのあるたくさんのお友達に、
私ともども今後とも宜しくお付き合い頂けるようお願い致します。


平成 8年12月 稿


                       菊地妙子





   海のように豊かなハートをもつ花  親友 菊地正文さん




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親友 菊地正文さんを贈る

      海のように豊かなハートをもつ花








                          九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲