母の海に安らぎを求めた赤い花 親友 石松勝美さん |
母の海に安らぎを求めた赤い花 親友 石松勝美さん |
月刊 釣りファンで人気の、宗像沖ノ島シリーズを書いた勝美さんを偲ぶ2017.10.
勝美さんのホームグランドは天狗と御門
宗像沖ノ島の恋人たち
石松勝美さん(海洋磯釣倶楽部OB会員)
あれから20年
海洋磯釣倶楽部 上瀧勇哲
「ジョーさん、イサキにアジ、ヒラゴが入れ食い、しかも、グレもイシダイも釣れる沖の島へ行こう!! 」と、誘う、石松勝美さんからの電話。
兄の石松 勇さん、浜部辰雄さん、利治さん、笠井さんの4バカコンビに、もう一人揃うと、すっちやら めっちゃらになる、いつもの賑やかな釣行。
平成四年の、この日も津屋崎から出る恵比須丸に乗って夜、沖ノ島へ出船。
今日は案内役の勝美さんと、そのクラブ員も乗船しているから、もの凄く賑やか。
船内はビールと酒の臭いがプンプンする中、船酔いの激しい私は、
ジョーさん「酒飲んだら船酔いがなおる!! 」と、勝美さんが勧めるが、
辰ちゃんが「よけいに酔う」と言ったら、船内爆笑。
この日はナギ日だったから猛スピードでブッ飛ばす宮崎船長。
途中、釣り人のクーラーが海にブッ飛ばされるハプニング。
そして小屋島のホームグランドに着けて、80分かかった。
しかし、私は相変わらず、船酔いで2〜3時間、放心状態。
辰ちゃん、利さんはサーフ竿で、L型テンビンに15号のウキ、これに大型アミカゴ付け、ボイルを、たらふく詰め込み、遠投電機ウキ、スタイルの、夜釣りで、イサキが入れ食い。
石松勝美さんは、いつもの仲間と天狗磯で石鯛とアラ釣りとかで、あったが、早速磯で宴会しているとの情報。
私も辰ちゃんと、同じ仕掛けで、30〜40pのイサキが大魚。他にアイゴ、ブダイ、と夏魚が皆に良く釣れ、大成功の沖之島磯釣り大会でした。
しかし、案内してくれた当人は、飲みすぎでアラカブとハタが釣れた、とかの大満足の様子。
やっぱり大勢の仲間と釣りして、楽しむことがイイんョ。とかの言い訳?。
そんな沖の島通いも、海洋磯釣倶楽部の大会が二度。個人的な釣行も5〜6回あったが、恵比須丸兄弟、船長のスピード狂に悩まされ、この10数年行ってない。
それも、勝美さんが沖の島で事故って以来、ほとんどの、常連さんが釣行をひかえてしまった。
石松勝美さんは離婚歴があり、子供さんが二人とか聞いた。
私と知り合った頃は独身で、とにかく釣りキチが幸いして、奥様からきらわれたと、自慢話しの釣行が数度。
苅田港沖の人工島では焼き肉持って来て、いつものパーティ。
本当に賑やかしい、楽しい、おもしろいので、仲間が釣りよりバカ話しが盛り上がって釣果なし、イヤ、スズキを釣りましたね。それで海洋磯釣倶楽部の大会、他魚の部、優勝。やっぱ名人、人気の勝美さんでした。
明るくて、気さくで、とにかく、思いやりがあって優しい。
しかも、どんな人からでも好かれるタイプで、彼のまわりは、いつも仲間達が大勢居て賑やか。
ちょっと酒好き、が悪いのだが、良い方にとらえると、私は勇さんより勝美さんの方が好き。(ごめんね勇さん)
そんな勝美さんが、月刊釣ファン誌の中で「宗像沖の島の恋人」シリーズを半年ほど続けて書いて、人気者になりました。
彼のペンタッチは、明るくて面白い、素直で表現が分かりやすい、なにより優しい。そして、精通した釣り場と釣り技術、アイデァは、ほしみなく、だれでも気さくに教えてくれる。
海洋磯釣倶楽部の15周年記念大会が大分県坂の市沖波止で開催されたとき、彼の仲間達がマイクロバスで20数人やって来て、みんなアミカゴ遠投釣り、ゆわゆる沖ノ島釣りである。
マダイ、ヒラマサは釣れなかったが、一緒の釣り場で、いつものパーティ。楽しい、賑やかしい、釣り大会であったが、九州磯釣連盟本部の梅原 昌さんとか、打越副会長等も参加頂いて、それは物凄い記念大会となった。
その大会ビデオを録画した私、そのビデオテープに、勝美さんと、その仲間達がしっかり録画されており、彼の、唯一の映像を石松 勇さんが泣きながら持って帰った。
その兄弟愛、凄く分かる私、私と同じ年頃だから。
そして、平成8年に発行した、海洋磯釣倶楽部の20周年記念誌に、石松勝美さんに、原稿の依頼したら、すぐに書いてくれた。
その稿が、最後の遺稿となりました。
平成7年12月末、石松勝美さんは、いつもの沖ノ島チームで、正月を磯で過ごす予定。釣り場の御門は彼の指定席。
夜釣りから磯上がり。ターゲットはアラ。夜が明けたら石鯛からヤズ、ヒラマサまで狙うつもりで、この日は仲の良いメンバー5人で祝宴。
酒に強い勝美さんも、かなり酔っていたかも知れない。
ちょっと用たし!!
しかし、どうゆう分けか磯から転落。
仲間達が急いで引き上げ、恵比須丸を迎えに来させ、救急車で病院。
しかし、すでに遅かった!! そうだ。
彼は転落時、磯で頭を打ちつけ、ひどいキズを負っていたそうだ。
そして、若松白山神社会館で通夜、次の日葬式。
喪主の石松 勇さん、弟の弘さんも肩を落とした。
仲の良い三人兄弟、みんな釣り好き。みんな海洋磯釣倶楽部の会員であり、親しいお付き合いをしていただけに、仲間達の弔問が嬉しくもあり悲しい。
独り身の勝美さんは、タンクロータリー車の運転手。
勇さんが、会社とか身の回りの後始末。
そして離縁された家族を捜しあて、彼の遺産を全てを贈ったそうだ。
墓は高塔山山頂より沖の島が見える向きで設置。
勇さんの仏間には、いつも勝美さんの位牌と写真が置いてある。
そして、その数年後、勇さんの奥様も、その写真の隣に置かれた。
勇さん家に訪れると、まず二人の遺影を目にし、線香をあげ、手を合わせる。
その後、勇さん家で海洋磯釣倶楽部の新年会とか総会、などなどしながら、みんなで勝美さんの冥福を祈る。
魚釣りで亡くなった友を偲び、この稿を書いている分けだが、釣り以外で亡くなった海洋磯釣倶楽部の会員さんも実に多い。
その多くは、みんな60代そこらで逝った方ばかりで、なんと悔しいことか。
現役会員さんとか、お付き合いのできているOB会員さんのほとんどが、家族的なお付き合いのある方ばかりで、より心が痛む。
何かをしてあげたいが、何にもすることができない。
心だけ、気持ちだけ、届けて、楽しい、面白かった、あの時を想い出し、彼達のことを一生忘れないで生きてゆこう。
それが私の、私達の励みになるのだから……
沖ノ島の海よ、ありがとう。
平成22年3月 石松勝美さんを偲ぶ稿。
母の海に安らぎを求めた赤い花 親友 石松勝美さん |
世界でたった一つの花 topへ |
母の海に安らぎを求めた赤い花 |