2018.1.公開 1997.7.海洋磯釣倶楽部20周年記念誌より抜粋。石松勝美さんを偲ぶ  musick jimama.mp (  ) 3


1986.6. 海洋磯釣倶楽部 宗像沖ノ島磯釣り大会。案内役 石松勝美さんと勇さん



   母の海安らぎ求めた赤い花  親友 石松勝美さん
母の海安らぎ求めた赤い花 親友 石松勝美さん

月刊 釣りファンで人気の、宗像沖ノ島シリーズを書いた勝美さんを偲ぶ2017.10.


勝美さんのホームグランドは天狗と御門

   宗像沖ノ島の恋人たち


  石松勝美さん(海洋磯釣倶楽部OB会員)
                 あれから20年


               海洋磯釣倶楽部 上瀧勇哲

「ジョーさん、イサキにアジ、ヒラゴが入れ食い、しかも、グレもイシダイも釣れる沖の島へ行こう!! 」と、誘う、石松勝美さんからの電話。

兄の石松 勇さん、浜部辰雄さん、利治さん、笠井さんの4バカコンビに、もう一人揃うと、すっちやら めっちゃらになる、いつもの賑やかな釣行。
平成四年の、この日も津屋崎から出る恵比須丸に乗って夜、沖ノ島へ出船。
今日は案内役の勝美さんと、そのクラブ員も乗船しているから、もの凄く賑やか。

船内はビールと酒の臭いがプンプンする中、船酔いの激しい私は、
ジョーさん「酒飲んだら船酔いがなおる!! 」と、勝美さんが勧めるが、
辰ちゃんが「よけいに酔う」と言ったら、船内爆笑。


この日はナギ日だったから猛スピードでブッ飛ばす宮崎船長。
途中、釣り人のクーラーが海にブッ飛ばされるハプニング。
そして小屋島のホームグランドに着けて、80分かかった。
しかし、私は相変わらず、船酔いで2〜3時間、放心状態。


辰ちゃん、利さんはサーフ竿で、L型テンビンに15号のウキ、これに大型アミカゴ付け、ボイルを、たらふく詰め込み、遠投電機ウキ、スタイルの、夜釣りで、イサキが入れ食い。

石松勝美さんは、いつもの仲間と天狗磯で石鯛とアラ釣りとかで、あったが、早速磯で宴会しているとの情報。

私も辰ちゃんと、同じ仕掛けで、30〜40pのイサキが大魚。他にアイゴ、ブダイ、と夏魚が皆に良く釣れ、大成功の沖之島磯釣り大会でした。
しかし、案内してくれた当人は、飲みすぎでアラカブとハタが釣れた、とかの大満足の様子。
やっぱり大勢の仲間と釣りして、楽しむことがイイんョ。とかの言い訳?。


そんな沖の島通いも、海洋磯釣倶楽部の大会が二度。個人的な釣行も5〜6回あったが、恵比須丸兄弟、船長のスピード狂に悩まされ、この10数年行ってない。
それも、勝美さんが沖の島で事故って以来、ほとんどの、常連さんが釣行をひかえてしまった。


石松勝美さんは離婚歴があり、子供さんが二人とか聞いた。
私と知り合った頃は独身で、とにかく釣りキチが幸いして、奥様からきらわれたと、自慢話しの釣行が数度。
苅田港沖の人工島では焼き肉持って来て、いつものパーティ。
本当に賑やかしい、楽しい、おもしろいので、仲間が釣りよりバカ話しが盛り上がって釣果なし、イヤ、スズキを釣りましたね。それで海洋磯釣倶楽部の大会、他魚の部、優勝。やっぱ名人、人気の勝美さんでした。


明るくて、気さくで、とにかく、思いやりがあって優しい。
しかも、どんな人からでも好かれるタイプで、彼のまわりは、いつも仲間達が大勢居て賑やか。
ちょっと酒好き、が悪いのだが、良い方にとらえると、私は勇さんより勝美さんの方が好き。(ごめんね勇さん)

そんな勝美さんが、月刊釣ファン誌の中で「宗像沖の島の恋人」シリーズを半年ほど続けて書いて、人気者になりました。


彼のペンタッチは、明るくて面白い、素直で表現が分かりやすい、なにより優しい。そして、精通した釣り場と釣り技術、アイデァは、ほしみなく、だれでも気さくに教えてくれる。

海洋磯釣倶楽部の15周年記念大会が大分県坂の市沖波止で開催されたとき、彼の仲間達がマイクロバスで20数人やって来て、みんなアミカゴ遠投釣り、ゆわゆる沖ノ島釣りである。
マダイ、ヒラマサは釣れなかったが、一緒の釣り場で、いつものパーティ。楽しい、賑やかしい、釣り大会であったが、九州磯釣連盟本部の梅原 昌さんとか、打越副会長等も参加頂いて、それは物凄い記念大会となった。

その大会ビデオを録画した私、そのビデオテープに、勝美さんと、その仲間達がしっかり録画されており、彼の、唯一の映像を石松 勇さんが泣きながら持って帰った。
その兄弟愛、凄く分かる私、私と同じ年頃だから。

そして、平成8年に発行した、海洋磯釣倶楽部の20周年記念誌に、石松勝美さんに、原稿の依頼したら、すぐに書いてくれた。
その稿が、最後の遺稿となりました。


平成7年12月末、石松勝美さんは、いつもの沖ノ島チームで、正月を磯で過ごす予定。釣り場の御門は彼の指定席。
夜釣りから磯上がり。ターゲットはアラ。夜が明けたら石鯛からヤズ、ヒラマサまで狙うつもりで、この日は仲の良いメンバー5人で祝宴。

酒に強い勝美さんも、かなり酔っていたかも知れない。
ちょっと用たし!!
しかし、どうゆう分けか磯から転落。
仲間達が急いで引き上げ、恵比須丸を迎えに来させ、救急車で病院。
しかし、すでに遅かった!! そうだ。

彼は転落時、磯で頭を打ちつけ、ひどいキズを負っていたそうだ。
そして、若松白山神社会館で通夜、次の日葬式。

喪主の石松 勇さん、弟の弘さんも肩を落とした。
仲の良い三人兄弟、みんな釣り好き。みんな海洋磯釣倶楽部の会員であり、親しいお付き合いをしていただけに、仲間達の弔問が嬉しくもあり悲しい。

独り身の勝美さんは、タンクロータリー車の運転手。
勇さんが、会社とか身の回りの後始末。
そして離縁された家族を捜しあて、彼の遺産を全てを贈ったそうだ。

墓は高塔山山頂より沖の島が見える向きで設置。
勇さんの仏間には、いつも勝美さんの位牌と写真が置いてある。
そして、その数年後、勇さんの奥様も、その写真の隣に置かれた。


勇さん家に訪れると、まず二人の遺影を目にし、線香をあげ、手を合わせる。
その後、勇さん家で海洋磯釣倶楽部の新年会とか総会、などなどしながら、みんなで勝美さんの冥福を祈る。


魚釣りで亡くなった友を偲び、この稿を書いている分けだが、釣り以外で亡くなった海洋磯釣倶楽部の会員さんも実に多い。
その多くは、みんな60代そこらで逝った方ばかりで、なんと悔しいことか。

現役会員さんとか、お付き合いのできているOB会員さんのほとんどが、家族的なお付き合いのある方ばかりで、より心が痛む。

何かをしてあげたいが、何にもすることができない。
心だけ、気持ちだけ、届けて、楽しい、面白かった、あの時を想い出し、彼達のことを一生忘れないで生きてゆこう。
それが私の、私達の励みになるのだから……

沖ノ島の海よ、ありがとう。


平成22年3月        石松勝美さんを偲ぶ稿。 




母の海安らぎ求めた赤い花  親友 石松勝美さん










世界でたった一つの花 topへ


母の海安らぎ求めた赤い花





































世界でたった一つの花









月刊 釣りファンで人気の宗像沖ノ島の恋人たち

九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部OB会員
   宗像沖ノ島を恋人にした石松勝美さん

         








                     文・稿九州磯釣連盟 海洋磯釣倶楽部 会長 上瀧勇哲